松島の風景
晩秋の松島ウォーク
 平成17年11月6日

  
  観光地松島は一年中多くの観光客で賑わいを見せていますが、賑やかなところが
  ちょっと苦手な私にとってはなおさら、地元に住んでいると行く機会がない?というか
  近すぎてあまり行き気がおこらないせいか、ついつい通り過ぎてしまいます(^_^;)。
 

ウォーキングコース
新聞折込広告
  
  先日、新聞を眺めていたら"ラジオを聴きながら日本三景「松島」を歩きませんか"という
  地元ラジオ局の生放送番組の広告があり、観光客で賑やかな中をラジオ片手にリュックを
  背負って歩いてきました。
 

受付でもらったバッジの裏には
1108番の番号が・・・(^_^;)
こんなにたくさんの人が集まっています。

  家から歩いても30分弱くらいのところにあるJR仙石線・松島海岸駅向いにある松島海岸
  グリーン広場には、すでにたくさんの人が集まっていて受付開始から30分後に着いた
  私の番号は1108番でした(^_^;)。

このグリーン広場には、大正2年に建てられた和風と洋風が融合したデザインの
当時としては超豪華な建物で、宮城県の貴賓館ともいえる“松島パークホテル”があり、
中央の多角形の形をした建物からのびる左右に翼を広げた美しい形は、小学校の写生の時などに
題材としても取り上げられるほどでしたが、私が中学校の卒業の年だった昭和44年3月に
出火し焼失してしまいました(残念!)。

 受付のところには、テレビなどでよくみかけるアナウンサー
 の人たちも動員されていました。

    アナウンサーの人たちも、スタッフ用のお揃いのジャンバーを
    着ているとただの“オッサン”。(ゴメンナサイm(__)m)
    やっぱり、テレビで放送をしているときのほうが似合っています。

  さすがに生放送のため、放送開始時間
  ぴったりにオープニングセレモニーが
  始まりました。

   この催しは、昭和58年から始まっているそうで、
   今回が25回目で、特設の舞台の上には司会の
   2人のアナウンサ-のほかにも、なにやらド派手な
   格好をした人達も番組の盛り上げ役として並んで
   います。
 

 ウォーキングは、100人が一組となって
 行われ、私の組の順番は最後尾に近い
 こともあり、しばらくの間、皆さんのお見送り
 です。
 それでも私のところの組には、かろうじて
 案内のスタッフがいましたが、最後尾の
 ほうには、案内する係員さえいず、“前の人
 についって行ってください”と言われていま
 した(T_T)。

雄島の看板
赤い渡月橋が別名“別れ橋”
  
  松島水族館から南東へ200mほど行ったところに、日本三景「松島」の地名のルーツと
  される雄島があります。見仏上人がこの島で修行されていたころ、ときの帝の鳥羽天皇
  から松の苗木一千本が下賜され、それでこの島が「御島」と呼ばれるようになり、雄島と
  いう名前の由来になったということです。又このときにくだされた一千本の松の苗木に
  ちなんで、初めは“千本の松の島”という意味で“千松島”と呼んでいたが後に千を略して
  松島と呼ぶようになったのが、松島という名称のおこりであると云われているのだそう
  ですが、このほかにもいろいろな説があるようで、私的には、このあたり一帯に松の木が
  自生し、三百近くの島々にも緑の松がはえているので松島と呼んだというのが、一番
  スッキリしていて正しいような気がします(^_^;)。
  「瑞巌寺の奥の院」とも称される雄島は、朱塗りの渡月橋で陸と結ばれており、島内に
  点在する岩窟には、諸国から渡った修行僧が刻んだ卒塔婆や仏像、法名などが数多く
  あり、霊場としての風景を今にとどめています。    

  ちなみに雄島に架かる橋が別名を“別れ橋”と呼ぶのだそうですが、いわゆる恋人との
  別れの橋というロマンチックなものなどではなく、この島が昔から霊場として位置づけられて
  いたため、この橋が“あの世とこの世”とのわかれ目であるということから“別れ橋”と
  いわているのだそうです。(ヘェ〜!)

 国道から100mほど西に入ったところにある
 天麟院は、仙台藩祖政宗公の正室・愛姫との
 間に生まれたただ一人の娘で、家康の子忠輝
 に嫁いだ五郎八(いろは)姫が離縁後余生を
 送った寺で、没後、院の後ろの丘陵に霊廟が 
 建てられたがその後取り払われ、廟が建て 
 られたのだそうです。

円通院の庭園
今年は紅葉が遅れているようですが、皆さん盛んに
カメラのシャッターを押していました。
円通院の背後にある三慧殿
不思議な形をした石のオブジェ

  バラ寺としても有名な瑞巌寺の西隣にある円通院は、伊達家二代藩主忠宗の次男である
  光宗の墓所です。光宗は文武両道に長じていたため、外様大名から名君が出ることを
  警戒していた徳川幕府から恐れられ、19歳という若さで毒殺されたというのが定説だそう
  です。その死をいたんで建立された御霊屋(三慧殿)は支倉常長がヨーロッパから伝えた
  西洋文明の影響が強く、厨子(ずし)の内部の扉には持ち帰った西洋バラの絵が描かれ
  ています。
  円通院には、江戸時代の日本を代表する作庭家の小堀遠州 が造ったとされる庭園が
  ありますが、だいぶ近代的な感じがしました。

 松島といえば、“瑞巌寺”と答えるほど超有名
 な瑞巌寺は、慈覚大師円仁によって開創され
 た奥州随一の禅寺で、伊達政宗公の菩提寺と
 なっていますが、今日は、残念ながらなかの
 見学はありません(T_T)。
海岸の山門から続いている高い杉木立の参道
 瑞巌寺の北東隣にある陽徳院は、藩祖正宗
 公の正夫人愛姫(めごひめ)の菩提の道場
 として建てられ、御霊屋(宝華殿)は、格天井
 で彩画が施された江戸初期の建築様式を
 とどめ、県の文化財に指定されているのだ
 そうですが、一般公開はしていないそうです。
  
  陽徳院の宝華殿は、円通院の三慧殿と天麟院にある五郎八姫の廟とをあわせて、松島の
  三霊廟と称され、これらの三霊廟は、昭和30年に松島町が伊達家から譲り受けて瑞巌寺
  に付与したのだそうです。
  
 伊達家直系の船乗りの組頭の人々が居住していた御水主町
 (おかこまち)を過ぎて国道に出ると、向かい側では世界最大
 級といわれるコンサートオルガンなどを展示している松島オル
 ゴール博物館の人が移動式の可愛らしいオルガンを演奏
 (自動演奏?)していました。

ようやく福浦橋に着いたと思ったら
もう先頭が戻ってきました(▼▼)
島の広場はすっかり整備されていました。
 福浦橋からみた観光客でにぎわう向こう岸
 の風景は、どんよりとした曇り空のために
 きょうは良くみえませんが、晴れた日には、
 海の色と松の緑、青い空と相まって、また
 違った松島をみることができます。
  
  松島海岸の東に浮かぶ福浦島は面積が6haで、ラジオの解説によると、プロ野球の
  東北楽天ゴールデンイーグルス の本拠地“フルキャストスタジアム宮城”のグランド
  部分が43個分入るそうです。この福浦島は252メートルの朱塗りの橋で陸と結ばれて
  いて、島には赤松、杉、など約250種におよぶ草木が茂り、遊歩道も設けられた自然
  植物公園となっています。 貝塚や弁財天などの史跡も残ざれており、散策も充分に
  楽しめます。

  福浦島に架かる福浦橋は、現在のように鉄筋コンクリート造りの橋になったが昭和42年で、
私が小学生の頃には木造で橋の床板のところどころが腐って抜け落ちていて、
下の海面がみえていました。
また、この橋は“出会い橋”と呼ばれ素敵な出会いが訪れるといわれているのだそうですが、
ご利益があるかどうかについては定かではありません(^_^;)

 日本三景松島のシンボル的存在の五大堂
 は、国の重要文化財になっており、この島
 に架かっている橋のうち、床板の透けている
 (床板の間隔が開いて下が見える)橋は
 縁結びの橋とも言われているのだそうです。
 また、こちらの五大堂は、33年に一回の
 御開帳があり、ちょうど来年がその年に
 あたります。
松島のシンボル五大堂

観瀾亭と松島博物館の入り口の所では
スタッフのお姉さんが立っていました。
5.4Kmのウォークももうすぐ終了です。
 観瀾亭の隣にある松島博物館を出たところには、松島町
 出身の文学博士である、青木存義 (あおき・ながよし)さん
 が文部省に在職中に幼い頃の思い出をヒントにして作詞
 したとされる「どんぐりころころ」の碑がありました。
 この日は、生家のあった松島第五小学校の児童による
 合唱があり、原曲にはなかった18年前に作られたという
 “3番の歌詞”も一緒に披露されました。
どんぐりころころの碑

 ウォーキングコースのゴールでは、この番組
 中に“雄島と“福浦島”の二ケ所で行われた
 “島ライブミニコンサ−ト”に出ていた雅楽の
 笙奏者の“ユウ”さんとシンガーソングライター
 の“イワセアケミ”さんのライブがあり、2時間
 45分の生放送が終わった後にようやく目の
 前で聞くことが出来ました(^0^)

 当日は、薄曇のなか1300人という大勢の参加者があり、解説をしながら歩いている先頭
 から遥か後方を歩いている私は、見ている風景とラジオから聞こえる解説のものすごい
 ギャップに悩まされながらも、和歌の歌枕に詠まれたり、諸国の雲水(うんすい)が修業に
 励んだ霊場「雄島」。伊達政宗の娘・五郎八姫が余生を送った「天麟院」。二代藩主忠宗
 の二男である光宗の墓所「円通院」。今回は、残念ながら中の見学はありませんでしたが、
 慈覚大師円仁によって創建されたと伝えられる国宝「瑞巌寺」。政宗の正室・愛姫の御霊屋
 「陽徳院」。貝塚や弁財天などの史跡やおよそ250種もの植物が自生する自然植物園に
 なっている「福浦島」などの名所旧跡を巡りながら、松尾芭蕉や伊達家の歴代藩主が愛でた
 松島の花鳥風月の一端に触れるひとときを過ごすことができました。
 欲を言えば、ラジオ番組の企画のために時間の制約や参加した人数の多さなどから、
 パック旅行並みの慌ただしさだったので、今度はゆっくりと紅葉でも眺めながら訪ね歩いて
 みたいと思っています。


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